Polo British Country Spirit

かつて多くの日本のオートバイは英国車に学んだ

今、日本のオートバイ市場は最大時の2分の1程度になっています。そして小型バイク市場の現在は東南アジアに移っています。一方、日本の大型バイクは性能が国際的に最高水準にあり、現在も世界のライダーの信頼を勝ち取っています。

こうした日本のオートバイですが、その昔、先生は欧米にありました。かつて英国、アメリカ、ドイツ、イタリアなどオートバイの先輩国は多く存在していました。
特に英国のバイクの影響を多く受けたのが我が国でした。1960年代はバイクの隆盛期でした。「アクセルいっぱい140キロ」なんていう広告もありました。危険ですがある意味で、のどかな時代でした。日本にはメグロ、ホンダ、ヤマハ、カワサキ、トーハツ、陸王、DSK、キャブトン、ライラックなどなど。一時は50社ほどのバイクメーカーが存在していました。これら日本のバイク工業の先生は誰か?それは、何と言っても英国バイク工業だと思っています。

昔、日本のバイクメーカーは1907年に始まった英国「マン島のTT(ツーリスト・トロフィ)レース」に出るのが夢でした。ここのレースで勝つことが世界的な評価になったのです。

マン島は英国本土とアイルランドの中間に位置する島で、自治権をもったイギリス王室属領です。レースは、今でも公道を走るので世界でもっとも危険なレースと言われています。

さてここで日本のオートバイの先輩格の英国バイクについて記します。何と言っても「トライアンフ」「ノートン」「BSA」が御三家でしょう。

当時の野太い排気音にしびれた記憶があります。いろいろ進化していますが、その頃の英車のブレーキペダルとチェンジペダルは、今と右・左が逆です。左足ブレーキ、右足チェンジでした。ぼーっとして乗ってはいられません。

それでは少しほかの英車紹介です。まず「アリエルのスクエアフォー」。
当時とても斬新な4気筒でシリンダーは四角配列。だからスクエアフォー。大人の感じでした。

「ビンセント・ブラックシャドー」は、ものすごいスピ―が出るバイクの芸術品です。「未亡人製造機」!とも言われました。その他「マチレス」「AJS」もレースに参戦するバイクでした。
そして今、もっとも面白い話は「ロイヤル・エンフィールド」でしょう。

英国では1971年になくなった会社ですが、インドでそのままライセンス契約で存在しています。いまでも昔の雰囲気を持ち、新車で走っています。日本でもヴィンテージ好きな人が乗っているようです。

このように、オートバイの世界でも英国が憧れの先輩でした。