エシカルな日常性と自分みがき
時間が飛び去って行くような今日。もう少しゆっくりと日常性を大切にしたいという気にもなります。とにかく社会課題が山積し、何とかしなければと思うとき。つまり「ブレークスルー(打開策)」を求めるとき、個々人の日常性の発想が功を奏します。その根本は「エシカル(倫理性)と個人の日常性の意識」にあると思っています。
今は暑いですが、何かを発見できると思い、半日ほど歩いて街を散策して見ました。
都心の川の支流。ゆったりとボートが係留されています。
自分の行動が人のためになるか。仲間のためになるか。社会のためになるか。
誰でも、社会と個人はつながっています。
今日、電車に乗って会社に来た。そこまでの道のり。バスも、電車も、電気も、改札も、靴も、服も、朝食の材料も、カバンも、眼鏡も、筆記具も。何一つ自分で作った物はありません。全ては他人のおかげ様。
今日、持ち歩いた1882年創業のメーカーのワックス地トートバッグ。永久不滅です。
そこで大切な事はエシカルだと思います。倫理観と普段の発想。いわば日常性。これを磨くことによって、豊かな社会に通じるのではないかと思っています。
自分の街をくまなく歩いてみる。綺麗な小道。薄暗い路地。いろいろ発見があります。先日、近くのアウトドア・グッズショップに行ったら、店の中に小川があり、魚が泳いでいました。「このビルの中の川で、卵が孵化したのですよ」と店員さんの笑顔。こちらも嬉しくなりました。
表参道のアウトドアショップの内部。川が流れています。魚も泳ぎ生まれています。
地元、商店街のお宝発見も楽しいものです。地元の商店主は年季が入っています。基本的に正直。教養以上に商いの倫理観を持っています。子供達にも親代わりで叱ることもあります。
さて、私達は、たまに都会を遠足するのはどうでしょう。坂道探検隊になってもいい。フツーの自転車で遠出をするのもいい。猥雑な街と、落ち着いてエシカルな街の空気を感じることもあります。何気なく歩いていれば「居留地通り」異人さんが多かったのかと往時を偲ばれます。
ここらに異人さんが多くいたのだなと思いました。
今も機能している本物のガス灯。当時はハイカラだったでしょう。
今は懐かしいよりお洒落です。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」「ペンは剣よりも強し」と語った福沢翁の慶応義塾発祥の地。築地にあります。
少し足を延ばして丸の内仲通散策。ありました。ファッションの店のリニューアル。古い柱をむき出しにして、ガラスで囲う。アートです。最近、隠すのでなく、もともとあった物を価値とする。オーガニック・グロースの考えが定着してきました。
古い中味を大事なアート資産として残す。近年の建築技法。
芝生の公園では裸足になって芝の感触を楽しむ。晴れた夜空の日は、星座を見てみる。子供の頃を再発見するかも知れません。
丸の内 仲通り、アートと共生する大人が和める通りです。
全てはお陰様で回っています。誰もが誰かの手助けで生きている。だからこそエシカルな発想を。人と自然と技術が織りなす豊かな未来。エシカルな日常と自分磨き。人を誉めているときのあなたの顔が一番、美しい。これは事実です。
街を歩いていて、ある言葉に出合いました。「一人ひとりがシステムチェンジの担い手になる」
時代が変わります。POLO BCS も、当たり前の日常性に着眼し、社会から喜ばれる「トラディショナルな豊かなフツー」を磨き続けたいと思っています。皆様に寄り添う存在として。